スペイン南西部から陸路で国境越えをし、、
通算103カ国目、ポルトガルにやって来ました\(^o^)/
まずは国境付近のエルヴァスから。
全長7キロ以上にも及ぶ、アモレイラの水道橋にて。
そして西へ270キロをバスで移動し、エヴォラへ。
ここには、インド航路開拓者であるバスコ・ダ・ガマ像がありました!
このバスコ・ダ・ガマに付いて行ったのが、後に初の航海にて世界一周を達成したマゼラン。
ちょっとした歴史を知っているだけで、銅像一つでワクワクが止まりませんね!
そこからさらに西へ130キロ移動し、首都・リスボンへ。
この街は大航海時代にまつわるものが数多く遺されています。
前述のバスコ・ダ・ガマの偉業をたたえて建てられた、ベレンの塔。
同時にリスボンに出入りする船を監視する、水上要塞でもあったそうです。
そして、ポルトガルが世界各地を発見した年が刻まれている「発見のモニュメント」。
ちなみに日本は1541年に発見されたと記されています。
世界史で見たら、日本は「未知の国」だったんですね!
こちらは大航海時代に巨万の富を得て建てられた、ジェロニモス修道院。
バスコ・ダ・ガマの石棺が祀られています。
この豪華な修道院を見たマゼランは、愛想を尽かしてスペインに行ったと言われています。
現場で命懸けで取り組んでいた航海士から見たら、何でそんな所にお金をつかうの?となったんでしょうね。。。
今も昔も、プレーヤーとマネージャーとの温度差は同じです。
リスボンからさらに西へ行くと、ユーラシア大陸最西端である、、
ロカ岬がありました\(^o^)/
ここはコロンブスがヨーロッパに帰還する際、目印にしていたそうです。
大航海時代を彩った人物が一通り出てきたので、ヒアリングを元に私の見解を書きます。
8世紀から15世紀後半まで、現在のスペインとポルトガルがあるイベリア半島は、イスラム国家が支配していました。
その約700年もの間、キリスト教国家が取り戻そうとした活動が「レコンキスタ」です。
スペインからずっと現地ガイドさんはこの「レコンキスタ」について何度も話していました。
それだけ歴史上、誇りに思う出来事なのでしょう!
自らの国を奪還するだけで700年もかかったのです。
それと同時に、香辛料を求めてインド航路を開こうとしたのですが、、
肝心の地中海がほとんどイスラム国家に支配されていて、近づき難い状況だったワケです。
スペイン王もポルトガル王も「もう面倒くさい」と思ったのでしょうね!
そこでコロンブスやバスコ・ダ・ガマ、マゼランらに「西への航路開拓」を命じたのです。
元々、地球は丸いものと信じていなかった時代ですから、、
命令とはいえ、知らない方向へ船を出すなんて無謀にもほどがあります。。。
それでも彼らは地道にコツコツと航路を開拓し、500年以上たった今でもその足跡が残っているのです!
大航海時代の航路マップは、彼らが成功したラインしか記していませんが、、
失敗して引き返した航路も残してほしかったですね。
命懸けで取り組んだから、ロマンがあったと思います!
逆にそれによってもたらされた富を浪費してしまった、スペインとポルトガルは、、
覇権国争いをしたのも束の間で、すぐにオランダとイギリスに取って代わられました。。。
現代マーケットでも同じ事が言えます。
やはり「他力本願」や「濡れ手で粟」では長続きしません!
マジメにコツコツと「使命」を果たす事を最優先にし、お金は後から付いてくるという考え方が必ず永続します。
このマーケット心理も、今も昔も変わりませんね。
この歳になって思うのが、歴史の勉強は本当におもしろいですね\(^o^)/
特に現代社会に繋がる「心理」のルーツを知ろうとすれば、さらに興味が湧きます!
帰国したらもっと大航海時代についての文献を読んでみたいと思います^^
これからポルトガルの北部に向かいますよ!
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