• 1975
    1975年9月19日生

    大阪府・門真市で生まれ、
    その後、父の実家である
    兵庫県・丹波市へ移住

    幼少より弱虫・泣き虫だったが
    当時珍しかった
    「一人っ子」だったため、孤独に強かった。
  • 1982
    小学2年生時に初めて連れて行ってもらった甲子園球場に魅了され、

    それ以来阪神タイガースと高校野球ファンとなる。

    プロ野球選手を目指して少年野球部に入部したかったが、

    父に体力のなさを指摘されて空手道場に通う。

    その傍らで通った「そろばん塾」では
    為替取引の基礎を学び、

    現在の投資生活に大いに役立っている。

    しかし、整理整頓ができず、
    行動力の乏しい小学生だった。


    ▼小学生の時の成績表


    遊びといえば、野球かゴルフ。

    インドアでは、ファミコン含めてコンピューター関連。

    そして父から与えられた「世界地図」鑑賞。

    将来、このどれかで生きていけたらと密かに目標を抱いていた。

  • 1987
    中学入学と同時に、ようやく野球部に入部。

    しかしここで技術と体力のなさに気が付かされる。

    レギュラーポジションの奪取は夢のまた夢。

    そんな現実とともに周りからの、
    「お前には無理だ」の声に反応し、

    練習をしない日々が続く。

    学力もよくて中くらい。

    できない事を自分以外のせいにして、
    周りに不満を言う毎日を送る。

  • 1990

    初めて自分から積極的に取り組んだ

    転機が訪れたのは1990年5月1日(中学3年時)

    出たくもない校内陸上3000mに出場が決まり、
    何気なく1日だけ練習してみた。


    たった2kmだったが、
    初めて自分で何かに積極的に取り組めた。

    そして本番では自分なりに走り切れて、

    これから何かが変わりそうな予感がした。

    野球部では引退間近だったが、
    そこから2ヶ月間、早朝練習前に走り込んだ。

    そうすると打球が外野の頭を超え始め、
    試合にも出られるようになってきた。

    でも残念ながら最後まで野球では
    レギュラーになれなかった。

    そんな私を見ていたのが、
    当時の社会の先生で陸上部の監督。

    秋の駅伝大会のメンバーにならないかと、
    声をかけてくださった。

    生まれて初めて誰かに「期待」をされた瞬間だった。

    積極的に取り組めば、必ず道は開かれる

    やらされるのではなく、
    自主的に積極的に取り組めば、必ず道は開かれると確信し、
    それまで中途半端だった勉学も真面目にするようになった。

    秋には野球部時代の同級生を押しのけ、
    駅伝大会に出場。勉学の成績もメキメキと向上した。

    ▼中学生の時の作文
    走り込みすぎて足を怪我するも、
    素晴らしいマッサージ師に出会い、金言を頂く。

    「今から3年間頑張って一生を楽しむか、

    3年間サボって一生苦労をするか、お前ならどっちを選ぶ?」

  • 1991
    こうして、がむしゃらにやってみようと高校生活に入った。
    「これから絶対コンピューターの時代が来る」と、
    NTTに勤めていた父の一言で、
    普通科進学を取りやめて、商業科を選択。

    プロ野球選手になることよりも、
    自分を変えてくれた駅伝に取り組むことを決意。

    とにかく勉強も部活も「気違い・クレージー」の領域だった。

    ▼高校生の時の成績表
    ▼高校学業資格表彰

    2ー3年生時の担任先生の

    「人生は一回しかないんだから、

    とことん挑戦しなきゃダメだ!」

    が後押ししてくれた。

  • 1993
    大学受験は学校創立60年以上、
    誰も合格したことがなかった関西私立大学に合格。
    ▼大学受験合格の通知書




    駅伝では1年生時に兵庫県大会でブービー(35位)だったチームが
    ベスト8に躍進し、近畿大会に出場を果たす。

    サクセスストーリーは、
    えげつない「練習量」と「自主性・積極性」で完成すると確信し、
    今現在でも何をやってもクレージーだ。

    あの3年間があるから、今のライフスタイルがある。

    「それはちょっとやり過ぎでしょう?!」という取り組みが、

    素晴らしい成功体験をもたらしてくれた。

    なのに、大学生活はテーマを変えて過ごした。

    「努力だけでは世の中は渡れない。
    要領よく立ち回って、結果を出す」

    講義にはほとんど行かず、
    極力努力しないで結果だけを求めた。

    学業はギリギリ卒業というレベルに終わり、

    高校から続けてきた駅伝は散々な結果に終わった。
    ▼大学時の成績
    ▼卒業証書

    自分で決めたテーマとはいえ、
    こういう過ごし方をした自分に後悔している。
  • 1999
    就職し、社会人となって

    また「クレージー」な自分を取り戻した。

    兵庫県・丹波市の実家から歩いて3分の、

    中小企業で10年半過ごした。

    誰よりも早い時間に出社して、情報を先取りした。

    会社の隅々まで覚えてやろうと、誰かれなしに聞きまくった。

    間違っていると思ったら、大先輩であろうと意見した。

    その間、趣味も満喫した。

    憧れだったゴルフの聖地、セントアンドリュースで
    ラウンドもした。



  • 2006
    そんな中で人生2度目の転機が訪れる。

    入社8年目の31歳の時に、


    「そろそろ日経新聞を読めるようになりなさい」と、
    上司から業務命令が出た。

    営業部に配属されていたので、当然のスキルだった。

    しかしそれまでスポーツ新聞しか読めなかった私は、取引先の専務に助言を求めた。

    「株式投資をすれば読めるようになる」

    それが答えだった。

    独学ではバクチになりそうだったので、
    大阪にある株式投資スクールに2年通った。

    ほぼゼロからの出発だったが、勉強が本当に面白くて楽しかった。

    日経新聞が読めるどころか、世の中の流れまでわかるようになった。

  • 2008
    しかし、基本的なことしか教えてくれなかった2年間は、
    残念ながら運用がマイナスになった。

    そして株式投資スクールとは、
    「勝てるように教えれば、もうお金を払って来てくれなくなる」
    という隠された方針にも気が付かされた。

    これは「教育」という観点で見れば本末転倒であり、
    「勝ち方や稼ぎ方」を実践的に伝えたい、という
    私の人生観に反するものだった。

    スクールを辞めて、それまで教わった基礎を元に勉強し直した。

    そして、「SMAPP投資法」が誕生し、
    3年目から運用がプラスになった。

    自分で生きていける「スキル」を身につけて、
    会社を辞めた。

    もともとコンピューターの仕事がしたかったので、
    中国・大連に渡り、
    語学留学をしながらIT企業に勤め、株式投資も順調だった。

    寝る間も惜しんだ「クレージー」な生活が
    やはり私には合っていた。

    このままこの生活が続くと最高だった。


    そんな時、父がうつ病になった。

    電電公社(現NTT)に入社時は黒電話だった仕事が、
    インターネットに進化したのが大きな原因だった。

    私は全てを捨てて、帰国を余儀なくされた。

    介護に明け暮れ、また就職するという選択肢はなくなった。

    株式投資と、そのコンサルタントという仕事が合ったから乗り切れた。

    しかし、生きる希望を失った父は、3年後に自ら命を絶った。

    サラリーマンを定年まで続けて、
    老後は悠々自適というストーリーは、
    私の中で完全に崩壊した。

    やりたい事を片っ端からやらないと損だと確信した。

    そして中学時代に自分を変えてくれた「走る」ことを
    もう一度やってみようと思った。

    小学生の時に父から与えられた世界地図をベースにやろうと決めた。

  • 2014
    そんな中選んだのが、
    南極・北極・エベレスト・北朝鮮のマラソン挑戦だった。

    やるからには「クレージー」な訓練と
    「失敗は許されない」背水の陣の覚悟を持った。

    10週連続フルマラソン出場や、
    4週連続100kmマラソン出場を達成。

    24時間マラソンや208キロ・330キロマラソンも完走した。

    そして、日本最長マラソンである
    「本州縦断(青森〜下関)1521kmマラソン」も
    706時間で完走できた。


    ▼本州縦断1521kmマラソン完走賞

    やったことがない人からの

    「そんなの無理無理!」という意見を全て跳ね返した。

    結果として、
    極寒の南極マラソン(100km)と
    北極マラソン(フルマラソン)を、
    日本人ひとりで乗り込んで完走した。


    ▼南極マラソン 動画

    ▼北極マラソン 動画
    酸素濃度が地表の半分だった
    エベレストマラソン(フルマラソン)も耐え抜いた。

    賛否両論だった北朝鮮での平壌国際マラソンも
    メディアに取り上げられた。

    ▼北朝鮮マラソン 動画
  • 2016
    無我夢中で駆け抜けた「極地マラソン」挑戦の3年間であることを確信した。

    「走るコーチ」は無数にいるが、
    「経済力と時間を作るコーチ」は私しかいないという事だ。

    こうしてSMAPP投資法のコンサルタントを
    2016年夏より再開した。

    同時に新しい取り込みも行なっている。

    エベレスト登頂時に、144カ国に訪問したという人に出会い、

    「100カ国訪問すれば、人生観が間違いなく変わる」

    と助言を受けた。

    やった事がある人の意見は100%聞くというのが私のポリシーなので、
    「世界100カ国訪問チャレンジ」と題して、さらに人生観を変える旅に出た。

  • 2018
    そして2018年9月に、
    グリーンランドに到達して世界100カ国訪問を達成。

    1カ国1カ国、知らない国を訪れるのは容易ではなかったが、
    コツコツ泥臭く続けて到達できた。

    要は途中でやめなければ確実に目標に近付き、
    高い確率で到達できるのだ。
    そして全ての国々が繋がっているので、
    一般論ほど世界は広くはないと感じた。

    今や日本~ドバイ間が、以前の大阪~東京間のようになっている。
    この感覚の変化が一番の収穫だった!
    しかしこれでゴールにするのは、もったいない。
    調べてみると、世界には厳密に言うと327カ国あるという。

    「国連に承認されている国は193カ国」という、
    一般常識を超えて、世界のすべてを制覇する。
    これが新しい私の目標となった!

    そしてその壮大なゴールに向かう姿勢が、
    ハイレベルな人達の驚愕と共感を生んでいる。

    日本国内滞在時は、今や受講が3か月待ちとなった
    SMAPP投資法コンサルタントに明け暮れている。
    受講料金も2016年に再開した時の5倍となった。

    いつしか業界最高価格となっている。
    それでも私の進化する「付加価値と存在価値」を求める受講希望が後を絶たない。
    確実に「自己実現」できる人々が、
    私とのご縁で増えている!
  • 2020
    誰もが予期しなかった、

    新型コロナウイルス(Covidー19)が
    世界を震撼させた!

    働き方を含めて、
    今までの当たり前が崩れ去った。。。

    2012年からの第4次産業革命以来、
    パソコンとスマートフォンで稼いできた私は、

    ここが3回目のターニングポイントになると確信した。

    そしてSMAPP投資法は、
    RPAとAIを駆使した、「自動売買システム」へと進化した。

    時代の最先端を走り、収入が大きく伸びた。

    そして、2頭のサラブレッドオーナーとなり、

    有馬記念制覇を目指す事になった!

  • 2024
    人生の最終目標は、
    「学問のすすめ」を提唱した福沢諭吉の現代バージョン、

    「超実践的学問のすすめ」の完成だ。
    100年後の1万円札は、きっと私だ。
    人には必ず、命を使う理由として「使命」がある。

    そして私の「使命」とは、一人でも多くの人達の
    「人生のステップアップと自己実現」の手助けになる事だ。