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1975
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1982
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1987
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1990
初めて自分から積極的に取り組んだ
転機が訪れたのは1990年5月1日(中学3年時)
出たくもない校内陸上3000mに出場が決まり、
何気なく1日だけ練習してみた。
たった2kmだったが、
初めて自分で何かに積極的に取り組めた。そして本番では自分なりに走り切れて、
これから何かが変わりそうな予感がした。野球部では引退間近だったが、
そこから2ヶ月間、早朝練習前に走り込んだ。そうすると打球が外野の頭を超え始め、
試合にも出られるようになってきた。でも残念ながら最後まで野球では
レギュラーになれなかった。そんな私を見ていたのが、
当時の社会の先生で陸上部の監督。秋の駅伝大会のメンバーにならないかと、
声をかけてくださった。生まれて初めて誰かに「期待」をされた瞬間だった。
積極的に取り組めば、必ず道は開かれる
やらされるのではなく、
自主的に積極的に取り組めば、必ず道は開かれると確信し、
それまで中途半端だった勉学も真面目にするようになった。秋には野球部時代の同級生を押しのけ、
駅伝大会に出場。勉学の成績もメキメキと向上した。走り込みすぎて足を怪我するも、
素晴らしいマッサージ師に出会い、金言を頂く。「今から3年間頑張って一生を楽しむか、
3年間サボって一生苦労をするか、お前ならどっちを選ぶ?」 -
1991
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1993大学受験は学校創立60年以上、
誰も合格したことがなかった関西私立大学に合格。
駅伝では1年生時に兵庫県大会でブービー(35位)だったチームが
ベスト8に躍進し、近畿大会に出場を果たす。サクセスストーリーは、
えげつない「練習量」と「自主性・積極性」で完成すると確信し、
今現在でも何をやってもクレージーだ。あの3年間があるから、今のライフスタイルがある。
「それはちょっとやり過ぎでしょう?!」という取り組みが、
素晴らしい成功体験をもたらしてくれた。なのに、大学生活はテーマを変えて過ごした。「努力だけでは世の中は渡れない。
要領よく立ち回って、結果を出す」講義にはほとんど行かず、
極力努力しないで結果だけを求めた。学業はギリギリ卒業というレベルに終わり、
高校から続けてきた駅伝は散々な結果に終わった。自分で決めたテーマとはいえ、
こういう過ごし方をした自分に後悔している。 -
1999
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2006そんな中で人生2度目の転機が訪れる。
入社8年目の31歳の時に、
「そろそろ日経新聞を読めるようになりなさい」と、
上司から業務命令が出た。営業部に配属されていたので、当然のスキルだった。
しかしそれまでスポーツ新聞しか読めなかった私は、取引先の専務に助言を求めた。
「株式投資をすれば読めるようになる」
それが答えだった。
独学ではバクチになりそうだったので、
大阪にある株式投資スクールに2年通った。ほぼゼロからの出発だったが、勉強が本当に面白くて楽しかった。
日経新聞が読めるどころか、世の中の流れまでわかるようになった。
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2008しかし、基本的なことしか教えてくれなかった2年間は、
残念ながら運用がマイナスになった。そして株式投資スクールとは、
「勝てるように教えれば、もうお金を払って来てくれなくなる」
という隠された方針にも気が付かされた。これは「教育」という観点で見れば本末転倒であり、
「勝ち方や稼ぎ方」を実践的に伝えたい、という
私の人生観に反するものだった。スクールを辞めて、それまで教わった基礎を元に勉強し直した。
そして、「SMAPP投資法」が誕生し、
3年目から運用がプラスになった。自分で生きていける「スキル」を身につけて、
会社を辞めた。もともとコンピューターの仕事がしたかったので、
中国・大連に渡り、
語学留学をしながらIT企業に勤め、株式投資も順調だった。寝る間も惜しんだ「クレージー」な生活が
やはり私には合っていた。このままこの生活が続くと最高だった。
そんな時、父がうつ病になった。電電公社(現NTT)に入社時は黒電話だった仕事が、
インターネットに進化したのが大きな原因だった。私は全てを捨てて、帰国を余儀なくされた。
介護に明け暮れ、また就職するという選択肢はなくなった。
株式投資と、そのコンサルタントという仕事が合ったから乗り切れた。
しかし、生きる希望を失った父は、3年後に自ら命を絶った。
サラリーマンを定年まで続けて、
老後は悠々自適というストーリーは、
私の中で完全に崩壊した。やりたい事を片っ端からやらないと損だと確信した。
そして中学時代に自分を変えてくれた「走る」ことを
もう一度やってみようと思った。小学生の時に父から与えられた世界地図をベースにやろうと決めた。
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2014そんな中選んだのが、
南極・北極・エベレスト・北朝鮮のマラソン挑戦だった。やるからには「クレージー」な訓練と
「失敗は許されない」背水の陣の覚悟を持った。10週連続フルマラソン出場や、
4週連続100kmマラソン出場を達成。24時間マラソンや208キロ・330キロマラソンも完走した。
そして、日本最長マラソンである
「本州縦断(青森〜下関)1521kmマラソン」も
706時間で完走できた。やったことがない人からの
「そんなの無理無理!」という意見を全て跳ね返した。結果として、
極寒の南極マラソン(100km)と
北極マラソン(フルマラソン)を、
日本人ひとりで乗り込んで完走した。▼南極マラソン 動画
▼北極マラソン 動画
酸素濃度が地表の半分だった
エベレストマラソン(フルマラソン)も耐え抜いた。賛否両論だった北朝鮮での平壌国際マラソンも
メディアに取り上げられた。▼北朝鮮マラソン 動画
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2016
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2018そして2018年9月に、
グリーンランドに到達して世界100カ国訪問を達成。1カ国1カ国、知らない国を訪れるのは容易ではなかったが、
コツコツ泥臭く続けて到達できた。
要は途中でやめなければ確実に目標に近付き、
高い確率で到達できるのだ。そして全ての国々が繋がっているので、
一般論ほど世界は広くはないと感じた。
今や日本~ドバイ間が、以前の大阪~東京間のようになっている。
この感覚の変化が一番の収穫だった!しかしこれでゴールにするのは、もったいない。調べてみると、世界には厳密に言うと327カ国あるという。
「国連に承認されている国は193カ国」という、
一般常識を超えて、世界のすべてを制覇する。日本国内滞在時は、今や受講が3か月待ちとなった
SMAPP投資法コンサルタントに明け暮れている。受講料金も2016年に再開した時の5倍となった。
いつしか業界最高価格となっている。それでも私の進化する「付加価値と存在価値」を求める受講希望が後を絶たない。確実に「自己実現」できる人々が、
私とのご縁で増えている!2020誰もが予期しなかった、新型コロナウイルス(Covidー19)が
世界を震撼させた!働き方を含めて、
今までの当たり前が崩れ去った。。。2012年からの第4次産業革命以来、
パソコンとスマートフォンで稼いできた私は、ここが3回目のターニングポイントになると確信した。
そしてSMAPP投資法は、
RPAとAIを駆使した、「自動売買システム」へと進化した。
時代の最先端を走り、収入が大きく伸びた。
そして、2頭のサラブレッドオーナーとなり、
有馬記念制覇を目指す事になった!2024人生の最終目標は、
「学問のすすめ」を提唱した福沢諭吉の現代バージョン、
「超実践的学問のすすめ」の完成だ。100年後の1万円札は、きっと私だ。人には必ず、命を使う理由として「使命」がある。
そして私の「使命」とは、一人でも多くの人達の
「人生のステップアップと自己実現」の手助けになる事だ。